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大学時代に打てなかった選手が社会人に入り、覚醒するということは往々にしてありうることです。

 

SUBARUの原澤健人選手は東洋大学時代は、出場機会も多くなかった選手でしたが、SUBARUに入社後、侍ジャパンのU-23代表に選出され、活躍しました。

 

今回は、SUBARUの原澤健人選手に注目してみました。

原澤健人選手のプロフィール

出典 Getty Images

 

原澤健人(はらさわ けんと)選手は、1995年11月2日生まれの23歳。

 

群馬県北群馬郡吉岡町出身。

 

身長183cm、体重97㎏、右投げ右打ち。

 

原澤健人選手は、吉岡町立明治小学校の時に野球を始め、吉岡町立吉岡中学校時代は軟式野球部でプレー。

 

中学校卒業後は前橋工業高校に進学し、1年秋からベンチ入り。

 

2年夏の群馬大会では、3番ファーストで出場した2回戦の桐生工業高校戦で4打数2安打1打点をマークしましたが、1番ファーストで起用された3回戦の桐生南高校戦では4打数1安打に終わり、試合も相手投手に完封され、敗退しています。

 

3年夏の群馬大会では、原澤健人選手は3番サードで出場し、2回戦の明和県央高校戦でホームラン、3回戦の高崎東高校戦で2本の本塁打を含む4打数3安打3打点をマーク!

 

準々決勝の健大高崎高校戦では、相手校から外野4人シフトを敷かれるほど警戒されましたが、その中で原澤健人選手は5打数3安打1打点を挙げ、外野4人シフトを破る活躍を見せました。

 

そして、準決勝の東農大二高戦でも、原澤健人選手は4打数2安打1打点と結果を残しましたが、試合は2対3で惜敗し、甲子園出場を逃しています。

 

高校卒業後、原澤健人選手は東洋大学に進学し、1年春からベンチ入り。

 

1年春のシーズンは、12試合に出場し、37打数11安打、0本塁打、8打点、打率.297の好成績を残し、1年秋のシーズンも途中出場も含め12試合に出場していました。

 

しかし、2年と3年の時は期待に応えることができずに、伸び悩んでいましたが、最終学年の秋にDHとして出場機会をつかむと、6試合で13打数6安打、2本塁打と活躍し、東洋大学の優勝に貢献!

 

原澤健人選手は、全国大会には4年春の全日本大学野球選手権大会と4年秋の明治神宮大会に出場!

 

4年春の全日本大学野球選手権大会は、1回戦の東海大北海道キャンパス戦では途中代打からファーストで出場して、3打数2安打1打点の成績を残しました。(試合は2対7で敗戦)

 

4年秋の明治神宮大会は、2回戦の富士大学戦で5回にソロ、6回にツーランを放つ活躍!

 

しかし、準決勝の日本体育大学戦では松本航投手に完封され、敗退しています。(原澤健人選手は3打数1安打1四球)

 

原澤健人選手は、大学卒業後はSUBARUに入社し、1年目から公式戦に出場!

 

3月には、社会人代表選考合宿に参加!

原澤健人内野手(SUBARU)

「(大卒新人ながらの招集)高いレベルで良い経験ができました。技術の高さもそうですけど、ベンチの雰囲気もすごく良く、見習うべきことが多かったです。この経験を生かしていきたいです」

出典 侍ジャパンオフィシャルサイト

 

4月に行われたJABA日立市長杯選抜野球大会 予選リーグのHonda鈴鹿戦では3番サードで起用され、本塁打を含む5打数3安打3打点の活躍をしています。

 

また、7月に行われた都市対抗野球大会1回戦の王子戦では、6回に代打で出場し、1打数ノーヒットの成績を残しています。

 

そして、10月には侍ジャパンのU-23代表に選出され、U-23ワールドカップに出場し、6試合で10打数5安打3四死球4打点の活躍で日本の準優勝に貢献しています。

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原澤健人選手は、高校通算17本塁打の右の長距離砲。

 

オーストラリア人の父親は学生時代にラグビーをやっていたそうなので、そのパワーは父親譲りということなのでしょう。

最後に

原澤健人選手は、国際大会という大きな舞台で活躍したことで、ドラフト候補として評価が上がったと思いますが、守備や走塁でアピールするタイプではありません。

 

ドラフトで指名されるためには、勝負強い打撃で勝負するしかないでしょう。

 

頑張ってほしいですね。

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