ネットを見ていたら、昨年ドラフト4位で指名されたオリックスの本田仁海投手が、球団から戦力外通告を受けたという記事がありました。
おいおい、わずか1年で戦力外かよ、と思ったら、本田仁海投手は9月に右ひじの手術を行っていて、オリックスは本田仁海投手に育成契約を提示するようです。
ちょっと厳しい対応ですね。
投げられないなら、育成落ちということですからね。
本田仁海投手は実績がないから仕方がないのでしょうが…
今回は、オリックスから戦力外通告を受けた本田仁海投手に注目しました。
本田仁海投手のプロフィール
出典 日刊スポーツ
本田仁海(ほんだ ひとみ)投手は、1999年7月27日生まれの19歳。
神奈川県横浜市出身。
身長181cm、体重74kg、右投げ左打ち。
背番号は46番。
本田仁海投手は、大和市立北大和小学校1年の時に北大和ドリームスで野球を始め、5年生から本格的に投手となっています。
つきみ野中学校の時は軟式野球部でプレーしていました。
星槎国際湘南高校では1年春からベンチ入りしましたが、入学直後のストレートの球速は125キロ前後しか出なかったようです。
しかし、1年の冬に監督の助言で、スリークオーターからオーバースローに変えたところ、強いボールが投げられるようになったそうです。
「ちょっとシャドーやってみようか」
1年の冬、本田は土屋監督に呼び止められた。土屋監督は選手の体の特長を、投手ならシャドーピッチング、野手なら素振りでみる。本田は何度か繰り返した。
「今度は上から投げてみるとどうだ」
本田は野球を始めたときからずっとスリークォーターで投げていた。誰からも変えろと言われたことがなかったし、本田自身もスリークォーターに違和感を持ったことはない。ところが土屋監督に言われるままにオーバースローを試すと、スーッと体を動かせた。細かいポイントを確認したあと、試しにボールを持って投げてみた。今まで感じたことのない感触でボールが手元を離れ、強く鋭いボールが捕手のミットに吸い込まれた。
「どうだ、いい感じじゃないか。これからはオーバースローで勝負しよう」
出典 https://sportiva.shueisha.co.jp/
本田仁海投手は2年春からエースとなり、2年夏の神奈川大会では4回戦で茅ケ崎西浜高校に敗れたものの、創部初の4回戦突破に貢献しました。
3年春の神奈川大会は、準々決勝で強豪の慶應高校相手に6安打1失点、11奪三振で完投勝利を飾りましたが、準決勝の横浜高校戦では完封負けを喫し、敗退しています。
3年夏の神奈川大会では5回戦の日大高校戦で敗退し、甲子園出場を逃しています。
本田仁海投手は最速149キロのスピンの効いた直球に、三振が奪えるスライダーを投げる好投手として注目され、2017年ドラフト会議でオリックスから4位に指名され、契約金4000万円、年俸500万円で入団しています。
なお、入団初年度のファームでの成績は、5試合に登板し、15.2回で0勝2敗3奪三振、防御率4.60となっています。
本田仁海投手の母親は?
本田仁海投手を検索すると、母というキーワードが出てきます。
どうやら、本田仁海投手は母親のもえみさんに女手一つで育てられたようですね。
本田仁海投手は契約金を「お母さんに渡したい。今まで自分のために使ってくれたので」と話していたようです。
女手一つで育ててくれた母・もえみさんは、本田が高校で野球を続けるためにパートの仕事を増やすなどしてサポート。本田は「ここまで来られたのはお母さんのおかげ。大阪に一戸建ての家を建てられるくらい頑張って、お母さんにもできれば来てほしい」と恩返しのプランを披露した。同席したもえみさんも「うれしい。離れるのは寂しいけど、大阪まで応援に行きます」と幸せそうに笑った。
出典 スポニチ
最後に
本田仁海投手が9月に行った手術は右肘疲労骨折部の固定手術で、3ヶ月後にはスローイング開始する予定のようです。
まだ、本田仁海投手は19歳の投手ですから、育成に落ちしても、頑張れば支配下に上がることは可能です。
頑張ってほしいですね。