U-18高校日本代表第1次候補として、日大山形高校の渡部雅也選手が選出されました。

渡部雅也選手は、東日本大震災の影響で、福島県相馬市に移住し、野球を続けている選手です。

 

今回は、日大山形高校の渡部雅也選手に注目しました。

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渡部雅也選手のプロフィール

 

渡部雅也(わたなべ まさや)選手は、2001年9月12日生まれの17歳。

 

身長182cm、体重84㎏、右投げ右打ち。

 

渡部雅也選手は、東京電力福島第1原発がある福島県大熊町で生まれ、小学校2年から大熊町野球スポーツ少年団で野球を始めています。

 

小学校3年生の時に、東日本大震災の影響により、福島県相馬市に移住しています。

東日本大震災が起きて、所属していた「大熊町少年野球クラブ」の仲間は散り散りになってしまった。渡部選手も家族と共に同県相馬市へ避難。クラブは解散を余儀なくされ、仲間の多くは家庭の事情や原発事故によるグラウンドの土壌汚染などで野球をあきらめざるを得なくなった。

そんな中、渡部選手は相馬市で野球を続ける道を選ぶ。

出典 毎日新聞

 

相馬市立中村第一中学校時代は仙台南シニアでプレー。

 

中学校卒業後は日大山形高校に進み、1年春からベンチ入り。

 

1年秋の新チームから捕手でレギュラーをつかみ、1年秋の山形大会は3位決定戦で山形城北高校を下し、東北大会に出場!

 

1年秋の東北大会は5番捕手で出場し、準決勝の花巻東高校戦で4打数2安打2打点の活躍を見せましたが、試合は4対6で敗れています。

 

翌2年春の選抜大会では4番捕手で出場し、1回戦の智弁学園高校戦で5打数2安打1打点と活躍しましたが、試合は3対5で敗戦。

渡部は一塁を駆け抜けると天を仰いだ。2点差の九回二死一塁で遊ゴロに終わり、ゲームセット。4番で臨んだ初の聖地で、悔しさが残った。

「力みすぎた。夢の舞台で、4番でヒットを打てたのは自信になるが、チャンスで打つのが4番。あそこ(九回)で打てなきゃ資格はない」

昨秋までは5番打者。関西入り後の練習試合で本塁打を放つなど好調。荒木監督は「迷いなく振れる選手が4番。渡部はそれができる」と信頼を勝ち取り、大事な初戦で公式戦初の4番の座を射止めた。

四回にフェンス直撃の左越え二塁打を放って好機を作り、先制したチームに貢献。1-1の五回には二死三塁から勝ち越しの中前適時打。「緊張したが、持ち味の長打力は発揮できた」。初の大役に胸をなで下ろした。

出典 サンスポ

渡部は捕手としても佐藤洸、近藤(3年)の先輩投手をリード。全36校中で最高の打率・423を誇る智弁学園を追い詰めたが「甘い球を(確実に)持っていかれた。前半は直球も変化球も合っていなかったのに、後半は合わせられた。もっとうまくリードできれば」

出典 サンスポ

 

2年夏の山形大会は4番捕手で出場し、初戦の鶴岡工業高校戦で3打数2安打2打点と活躍しましたが、3回戦の鶴岡東高校戦では3打数ノーヒットに終わり、試合も3対7で敗れています。

 

2年秋の山形大会は、準々決勝で羽黒高校に2対3で惜敗。

 

 

渡部雅也選手は、高校通算5本塁打、二塁送球1秒9台を記録する強肩強打の捕手。

 

また、東日本大震災の影響で、田村市、郡山市、会津若松市、相馬市と転々とした過去を持つ選手なので、精神力が強い選手だと思います。

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最後に

東日本大震災で亡くなった方や避難で野球ができなくなった人に、元気や希望を届けたいと頑張っている渡部雅也選手!

 

U-18高校日本代表第1次候補合宿でも、アピールして、U-18高校日本代表を勝ち取ってほしいと思います。

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